2012年01月04日

はつはる

年末年始、鼻をかみすぎて、鼻の下ガビガビです。
あけましておめでとうございます。

大変な年が明けて、新しい年になりました。
でも、なにも変わってないし、やっぱりちっともめでたくない。
私は決して悲観主義者ではない(根っからノーテンキ)ですが、今の状況には悲観せざるを得ません。
年賀状には「今年はいい年になりますように」と書きましたが、このままではいい年になりようがないです。

若かりし頃、テレビや新聞の中にいる、怪しげで強欲そうで危険な発言を繰り返す年寄りたちを見る度に思ったものです。
「将来、このじーさんたちがこの世からいなくなったら、日本はよくなるだろう」
じーさんたちのほとんどは視界から消えました。
でも、結局なにも変わってない。
私よりもずっと年下の人間が、あの頃のじーさんたちと同じことを、テレビの向こうで、パソコンの中で、嬉嬉としてしゃべっています。

やっぱり若かりし頃。
反原発の運動をしていた人たちは、どんどん原発が増えていく現実の無力感の中でつぶやきました。
「この国の人間は、もしものことでも起こらない限り、真剣には考えないんだろう」
今回、もしものことが起こりました。
なのに、今も見て見ぬふりをしてる人たちが大勢いる。
この期に及んで、原発推進や現状維持を望む人の方がまだ多数派らしいです。

なにかを待っていても、決してこの国はよくはならない。
そういう国、つまりは国民なんだ、と。
この国はいつまでも成熟しないまま、子どものまま、いきなり老人になっちまってるんじゃないか?
去年はそんなことを感じた一年でした。


でも、それでも。
まだ世間からみたらごく少数派なんでしょうが、多くの人たちが動き始めています。
あちこちで行われている脱原発デモやパレード、抗議行動、署名活動、経産省前のテント、原発を決める東京都民・大阪市民投票、などなど。
原発問題以外でも、ネットや街頭を中心に、活動が拡がっています。
マスコミにはほとんど取り上げられていないけれど、少しずつ、確実に。
小さな動きが波になって、いずれ大きなうねりになったら、きっと何かが変わる。
その昔の学生運動なんかとは違う、普通の人たちの、ただ安心して日常を生きたい、という、ごくありきたりの願いから始まった動きだからこそ。


今、原発や放射能問題に心を痛めてない人は、情報を知らない人か、もう諦めちゃった人でしょう。
「諦める」それもひとつの選択だとは思います。

でもさ、大人はいいよ。
自分たちが選んだ政治家が推進してきた原発だし、反対してたって今まで止められなかったわけだし、もうここまで大人になったんだからさ。
でも、子ども達が可哀想だろう。
大人が諦めたら、子どもも諦めるしかなくなっちゃうんだよ。
子どもの未来を奪う権利なんて、たとえ親にだってないはずだって。
それとも、この国に…この親の元に生まれてきたのもお前の運命だって言うの?
だから甘んじて被曝しろ、と?
冗談じゃない!

子どもを守ろうと、一生懸命闘ってるお父さんお母さん達がたくさんいます。
でも、未だ無関心な親もたくさんいる。
無関心どころか、必死に闘ってる人たちの邪魔をする親もたくさんいる。
それってなんなんだろう?
やっかみ?


放っておいたら、決してこの国はよくならない。
でも、少しずつ変えることはできる。
それが今の、今年の、ささやかだけれど絶対的な希望です。


みんなで、せめて少しでも。
いい年にしましょう。

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posted by かよ at 14:04| Comment(13) | TrackBack(0) | 日記
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